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指笛今昔

創世期

かって指笛といえば門外不出に等しく、問題を内包しながらも統一の保たれた状況で、今のようにオープンではなかった。その後様々な変化を起こしており、基本的な面も一部には変容を遂げているようです。今から考えると古典的な指笛はピアノ伴奏の下、歌のメロディーを演奏するのが中心でした(だから声楽の扱いにしていた)。一人だけクラシックに挑戦する人も存在していた様ですが、余程クラシックがお気に入りだったのでしょう(ステージ発表では演奏はともかく、後述の様に何かと評判が良くなかった)。
 一般には歌を指笛に置き換えただけの簡単な形式でこれが基本ですが、指笛用に編曲された曲が徐々に増えているそうです(器楽の面が増えた)。  ピアノ伴奏ばかりでなく合唱団・二重奏・バンド演奏などと競演したり、形式の多様化が進み何かとオリジナルへの変化が起きており、聞き手にとっては楽しみが増えてきました。
 しかし伝統を重んじるグループにあっては危険水域になっているであろう。伝統を守るのは大切ではあるが、時代や環境の変化に対応できるだろうか?現在は指笛の演奏レベルが上手でも下手でも自由気ままに線引きする事無く、誰でも気楽な雰囲気で演奏活動があるようですね。
 反省も無ければ自制も無く自ら晒し者になっている事さえ気付いていない。こんな野放しと言える現状に警鐘を鳴らしているのは小生だけでしょうか?
 このままではあまりにも混戦状態になり一般大衆からの支持が得られず水没し、結局は自分の首を絞める事になってしまうのではなかろうか?

情報化

現在は情報の質・量そしてスピードが速く、特にインターネットの普及でどこにいても誰にでも最新情報が入手可能になり、これが一面指笛人口の増大にもなっていますが、便利にはなっても単に情報・知識だけの独り歩きで、実技という大事な中身は必ずしも一致していない。演奏が難しい指笛は知識だけのグループと、演奏が出来るグループに二分されるのだろうか?

これからも指笛人口が増える事により構成は複雑化していくであろうが、やがては消え去る者と長く残る者に分類されるのではないだろうか。
でも世の中がどのように変化しようとも王道は残されている。それは何か?
鍛えられた本物が残る。
いつまでも組織や伝統に傾倒・固持していて良いのだろうか。不動の原点に立脚したいならば、たとえ一匹狼になっても常に真を追求すべきだと考えられる。元気の良い若い皆さんはこれからも中心に向かって挑戦してほしいと願っていますが、あなたはどうしますか?

 こうして机上に小さなパソコン一台あれば便利で何でも知りたいことが掴める。逆に提供する側にとっては出せるものと出せないものを区別し、 特に意中の案件については一部伏字も今は勘弁願いたい。たとえ誤字・当て字を使用しても指笛の上達には支障にならないはずである。
 若い頃に指笛に熱中しすぎ、逆に辛い目にもあったが、こんな文章を大きなディスプレイで見ても誰にも何の事やら少しも判らぬ事であり、 伝えられる物と伝えられない物がある。又伝わる物と伝わらない物もある(文章では表現しにくいものはなおの事)。
 情報の洪水に溺れる事無く塾生には無事目的地に到達して欲しい。パソコンなど毎日見る物ではない。寄せ集めた知識の増大と演奏技術の向上は、御存知のように別物です。
 時代遅れと言われようが、実技のレベルアップの為には過剰な情報収集で、混乱を招き時間が浪費されてしまうのを心配しています。

添加物

ところで指笛の中心となっている某会には周囲からは嫌われている、ある種の個性がある。最奥に隠された本音を言えば、彼等は指笛の方を小道具にしている。 つまり××の方が主眼である。ここまで明言してしまえば「・・・・・・やはりそうだったのか・・・・・・」と相槌を打つ○○が居る。
 こんな中で共産国を褒め、あるいは社会主義の国を讃美するのは厳しいご法度である。逆に目利拳国に対し少しでも風向きの悪い事を口にしようものなら、即刻大目玉を喰う事になる。さらに選挙期間中に青空バッヂなどを付けて、ノコノコと顔を出そうものなら雷が落ちる。まして音楽とは関係ないイデオロギーについてまで口を出して来られては、周囲には大きな迷惑である。他人からは偏向姿勢と見られようが常に一貫しており、機会ある毎に力説されてはうるさい雑音でしかない。 こんな状況下で異論を挟むのは自殺行為である。
惜しいかな中には悩んだ末我慢しかね、指笛とは全く関係のない事を表向きの理由に挙げ、離反者も出てしまう。この中にこそ朱と交わっても赤く染まらない骨のある正義漢が存在している。
 これこそ今の時代に大切な大和魂を持つ真人であろう。周囲から雑草扱いを受け爪弾きにされながらも、自分で見つけた目標に向って粘り強い行動を持続する熱い闘志を持つ人物。この様な熱血漢が広い日本の中に少なからずどこかに秘め隠されている。
一門会とは全く別世界で陽の目を見る事なく、それこそ大地の厚いフィルターを経て地下水脈の流れの如く、地表や上空からは見えなくても清い命脈を保っている。周囲に正しい範を垂れているので、これを模範会とでも名付けたい。

演奏会

昔の指笛演奏会なら単にステージ発表だけでは済まなかった。演出又は運営・進行に異物が抱合せで公開される事が、来場した多くの反発を買っていた。 又会場には毎回決って幽霊の様な見馴れぬ異形の集団が一角を陣取り、その脱線部分を我が意を得たりと楽しそうに聞入っていたのが注目されていた。
 観客は指笛の演奏を聞きたくて集っているのに、音楽以外の、しかも一般大衆の考えと違う談長な説明を聞かせられてはアクビを誘う事になろう。 入場料を支払った聴衆の存在をあまりにも無視した独善行為と判断されても仕方ないではないか。
毎回のステージがこんな具合だから今も指笛に対しては、□□□□からあるレッテルが貼られている。自ら招いた冷たい結果であり、正に一般世論と一致している。 小生は長年に恒って純粋な気持ちで指笛と関わり、指笛そのものが好きな一人として今も残念でならない。
賛否は分れるだろうが不要不急のものであろう。この大和の国には馴染まぬ代物をなりふり構わず公開しても、一般大衆には拒絶反応が残り、異和感が広がり、 溝が深くなるだけである。純朴と言うか素直に指笛だけを楽しみたい愛好者にとって、異臭を放つ煩わしい難物であり消化不良の元でもある。
 「あんな演奏会なら僕は二度と行かないよ」冷たく言い放されてしまい何も返事が出来なかった。指笛演奏会の感想評価である。 当然と言えば当然の事。特にS系の反発が強烈だった。恐らくはもう横への連絡が伝えられたのだろう。 又帰路、島人(女性)数人の意見を求めたのだが、予想外のステージ内容だったのか皆一様に口数が少なくなってしまった。やはり大きなショックがあったのだろう。 勧誘した小生も同一視されては仕方が無い、恥しくてそれこそ穴があったら中に入って隠れてしまいたい心境だった。
現在のインターネットの普及は指笛のそんな詰らぬ古臭い異物を度外視するのには役立つだろう。目的・目標としている大切な指笛と不純物の区別は歴然であり、 道草などのひまは誰にも無い。指笛などよりも目障りで余計な不純物の方をお好みの方は、せいぜい狂怪の牢国にでも行ってもらえば良いでしょう。

大論争

一体指笛に挑戦しようとするのは何故か?広く皆さんにとって指笛の存在とは何ですか?指笛に取組もうとするそのエネルギーは、何を目的・目標としていますか?・・・・・・
例えば無断で明言して申し訳無いが、沖縄では古来独自の伝統文化である指笛(手笛)の出来る人が減少しつつある事に危機感を覚え、 指笛そのものを拡める為に組織作りがされたと聞く。これは目的と手段が正しく一致しており、正直であって大変宜しい。本来こうあるべきだろう。
それでは塾長である小生は指笛に一体何を・・・・・・。単純明解に言えば実は何も無い。無字の一言である・・・・・・指笛の音が正しく出せる。又曲の演奏も出来る。 そして聞いてもらえる周囲の皆と共に楽しめる。この指笛そのものが実に例えようも無く楽しいし嬉しい・・・・・・。
これ以上は文章には何とも説明のしようが無い。この指笛を裏で支える別の怪し気な物は私には必要としていない。まして指笛以外に隠れた目的など無い。単純に指笛だけしか無い。
対照的なのは眼目を裏に隠し、表面を指笛で装い、歯層倒逸・戦能狂華を秘策とする一団の存在である。陰湿であり巧妙、そして偽善の化面である。
こんな事だから一部には反発が生じ、止むを得ず反目も発生してしまう最悪の結果にも到る。